前述の通り、関口は今川の庶流であり、更に今川は足利から分かれ、足利は清和源氏で清和天皇を祖とすれば初代・神武天皇に遡り、天皇家が渡来系の一族ならば大陸へと繋がり、大陸の諸族は須らくアフリカの類人猿を母とし、周知の通り類人猿は猿から進化しており、哺乳類の祖、両生類、魚類と進化を逆流し、さらに原始的な動物を経由して単細胞のアメーバ菌のような単純な構造の生物に至り、細胞を生じせしめた蛋白質やらアミノ酸やらがその源となりましょう。

しかし、関口姓を名乗ったとは到底考えられぬアメーバ菌や猿人を考察の範囲とするのは、生物学者でも人類学者でもない小生にとっては無益であり、関心の焦点は歴史上最初に関口と名乗った生命体に定まりました。

まずは今川の庶流であれば今川某の子を以って関口の元祖とするのが自然の理。これは『尊卑分脈』なる文書から、今川家初代・今川太郎国氏の次男であった次郎常氏と判明しました。常氏の父・今川国氏(今川家の祖)は、吉良長氏(吉良家の祖)の次男とされ、長氏は足利義氏(足利家3代目当主)の庶長子で、義氏の祖父は足利義康(足利家の祖)、更に義康の祖父は八幡太郎源義家となるそうです。

下記の超略式系図の如く、関口常氏から子、父、祖父、曾祖父の4代全てが異なる苗字を名乗った事は、現代人の感覚からすると些か違和感を覚えるかも知れませんが、嫡男以外の男子は分家、出家あるいは他家の養子に出される習わしのあった中世の武家においては別段奇異ではなかったのでしょう。

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関口常氏(関口家の祖:今川国氏の次男)

今川国氏(今川家の祖:関口常氏の父)

吉良長氏(吉良家の祖:今川国氏の父)

足利義氏(足利家3代目:吉良長氏の父)

足利義康(足利家の祖:足利義氏の祖父)

源義家(八幡太郎:足利義康の祖父)
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鎌倉時代、執権・北条泰時に仕えた足利義氏が承久の乱の戦功として三河の守護となり、母が正室(北条泰時の娘)ではなかった為に長男ながら家督を相続しなかった長男・吉良長氏が三河国碧海郡吉良庄を本拠とし、吉良長氏の次男・今川国氏が吉良氏の所領から三河国幡豆郡今川庄を分与され、さらに今川国氏の次男・関口常氏が三河国宝飯郡関口庄を本拠とするに至ったとのことです。現在も同地に登屋ケ根城祉や長寛寺などが残り、同寺には初期関口家代々の五輪塔があるとのことで、これは関口一族には由緒ある寺社にて、回教徒にとってのメッカみたような所ですから、機会があれば是非参詣したく存じます。

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